的外れな憧憬

「オレさァ、実は東堂に憧れてたんだよねェ」
 本人には絶対に言ってやんなかったけど、と荒北は呟いた。
 突然の言葉に、金城は数度目を瞬かせたが、すぐに穏やかな表情に戻り、話を広げてやる。
「そうか。どんなところに憧れていたんだ?」
「いろんなとこだヨ。自分に自信あるとこ、そのくせ努力は怠らないとこ、自分以外見てないようで周りもしっかり見てるとこ。まァ、自分に自信ありすぎナルシスト野郎って感じだけどなァ、あそこまで行くとヨ」
 目を伏せて、どこか物思いに耽っているような表情でスマートフォンを弄っていた荒北が、それを放り投げて卓袱台に突っ伏した。その様子を愛しくてしょうがないとでも言いたげな微笑みで見守りながら、金城は目の前に広げていたノートをぱたんと閉じた。荒北が何かを話したそうな様子をしている以上、勉強は諦めるしかない。金城の中にある優先順位のトップを占めるのが荒北だ。ぽつりと言葉を漏らした荒北を見て、万難を排してでも荒北の話を聞いてやりたくなった。
「オレさァ、自分に自信を持ったことは一度も無ェし、持てるとこもカケラも無ェと思ってる。昔……中学ン時は自信満々だったし、恥ずかしーけどオレって結構簡単に夢とか叶えられちゃうんじゃねェか、とか思ってたヨ。努力はしてたけど、今いる場所で満足してた、気がする。だから……アー……なんていうんだろうなァ」
 そこで荒北は一旦言葉を区切った。そのままゆっくりと上半身を起こし、頬杖をついてさっき放り投げたスマートフォンを眺める。瞳が迷うようにゆらゆらと揺れているのを見て、金城は少し不思議に思った。荒北はいつでも合理的な判断を一瞬で下せる賢い男だし、頭ではわからないことも嗅ぎ取ってしまう野生の勘も持っている。何かについて迷うのは、実は珍しい。
 きっと荒北は、自分が何を言いたいのか理解できていない。自分の考えを整理するより前に、金城に伝えようとしている。
 いや、違うか、と金城は心の中で首を振った。答えの出てない問題を金城に聞かせて、回答を得ようとしているのかもしれない。自分ひとりでできないことで他の人間に頼るというのは、荒北に限って言えば最高の信頼の証だと思った。冷静で賢いのに、意地と見栄を張らないと生きていけないような男だ。その男が頼るというのは、イコール甘えているということでもあり、金城はそれが素直に嬉しかった。
 荒北が助けを求めているなら、応えてやりたい。それも最高の形で。
 金城はその思いを強く抱き、助け舟を出すために口を開いた。
「常に上を目指していて、それに対して弱音を吐かないところだろう。東堂に憧れている部分というのは」
 荒北は一瞬ぽかんとした表情をした後、静かな表情に戻り、「アァ、そうかも」と頷いた。
「そういえばアイツが後ろ向きなコトを言ってるとこ、見たこと無ェな。勝てないとか、もうこれ以上できないとか、諦めるとか。自分が決めた目標に進む時は、本当に黙々と進むって感じだったしヨ……。クソやかましいのと美形アピールは心底うざかったけど、そういうとこは結構認めてた、のかもしれねェ」
 巻島からは、荒北と東堂は反りが合わないらしいと聞いていた。だが、今の会話の中で、お互い心の底で認め合っているらしいことは容易に感じ取れた。性格は合わないが、お互いの信念とやり方を認めている。それは言ってしまえば究極のチームメイトではないのか、と金城は思う。理解できないほど真逆でも信頼できてしまう、その影に隠れた絆こそが、あの箱根学園を作っていた。
 その事実に素直に感服しながらも、どこか嫉妬してしまっている自分に気づき、金城はそっと苦笑した。自分を大人っぽいとか、精神年齢が高いとか言う人間は、絶対に間違っている。自分はこんなにも青臭い。
 金城の微苦笑に気づかず、まだスマートフォンに目を向けたまま、荒北は続けた。
「あんなんでも後輩からは結構慕われてたヨ。的確にフォローに入ってくれるとか、元気付けてくれるとか、いろんなこと言われてた。空気を読めないバカの振りをして、その場のムードメーカーになってたーーとまでは言わねェ。でも、あいつの煩さの中には、絶対計算も混ざってたんだろうなァ。場の空気を重くさせないための計算とかさァ」
 悔しいけど、オレも何回かソレに助けられてきたんだろうなァ。
 悔しいと言いつつも、荒北の目には少しの苛立ちも浮かんでおらず、凪いだ海のように穏やかだった。相変わらず妙なところで素直じゃないな、と金城は更に微笑ましい気分になる。それと同時に、先ほどから膨れ上がっていた疑問が、とうとう弾けた。
「なあ荒北。なぜいきなり東堂の話を始めたんだ? それに先ほどからやけに携帯を気にしているようだが」
「…………」
 荒北は僅かな沈黙を挟んだ後、大きなため息をつき、投げやりに答えた。
「今日、東堂の誕生日なんだヨ。一応オメデトウみたいなLINEでもしとこうかと思ったんだけどさァ、なんかどういう風に言えばいいのかわかんなくなった」
「だが、日付が変わるまであと1時間も無いぞ。早く言わなければ誕生日が終わってしまう」
「わかってる! わかってるけどヨォ……」
 らしくもなく歯切れの悪い調子で、荒北はまたスマートフォンを手に取った。数回画面をタッチしたが、動作が止まり、また悩み始めてしまう。荒北の性格ならば「おめでとう」という一言だけでも良いような気がするのだが、荒北がそれをしないということは、きっと他に言いたいことがあるのだ。けれど、それを文章にするのは骨が折れる、もしくは少し改変したりしないと読ませるのが恥ずかしい文章になってしまう、のどちらかだろう。
 そこまで考えて、金城は不意に結論にたどり着いた。今まで荒北が、金城に問いかけるように喋ってきた、東堂の良いところ。それを荒北は伝えたいのだ。オマエのこういうところが良いところで、オレが尊敬しているところだ、と伝えたい。だが、それは荒北のプライドが許さないのだろう。もし相手が福富だったなら素直に言えていたであろう言葉を、反りが合わず何度も口喧嘩をしてきた東堂には言えない。その言葉を金城に改変して欲しくて、荒北は金城に喋り続けていたのだ。
「……荒北」
「ア? なんだヨ」
「きっと、一言でいいんだ。シンプルな一言だけで。それだけで東堂はわかってくれるだろう。お前を認めているあいつなら、わかってくれるだろうさ」
 今度挟まれた沈黙は、先ほどよりもずっと長かった。スマートフォンをじっと眺めながら、荒北は無表情で黙りこくっていた。金城も静かに次の言葉を待つ。ついに荒北が指を動かし、画面を触ると、力を込めて送信ボタンらしきものを押した。そしてスマートフォンをまた放り投げ、床の上に仰向けに倒れる。
「……あンがとね」
 荒北のか細い礼に、金城はフッと笑みをこぼした。


「荒北は努力家だと思うがな」
「……ナァニいきなり」
 汗ばんだ荒北の額にへばりついた前髪を、そっと払う。荒北が怪訝そうな目で見上げてくるのに微笑みで応える。
 卓袱台の上に置いてあるペットボトルを手に取り、荒北に渡すと、よほど喉が渇いていたのか素早くゴクゴクと飲み出した。腰を痛そうに摩りながら、ミネラルウォーターを喉に流し込む荒北をぼんやり眺め、またぽつりぽつりと言葉を零した。
「それに、荒北が弱音を吐いているところを見たことが無い。面倒だ、とか、やってられるか、という言葉はたまに聞くが、できない、という言葉は聞かない。憎まれ口を叩きながらも、やるべき努力は決して怠らない」
「……さっきの東堂の話かァ?」
 まだ中身が半分残っているペットボトルを金城に差し出して、荒北は露骨に嫌そうな顔をした。もうあの話は蒸し返されたくないのだろう。自分の弱い姿ーー悩んでいる姿や苦しんでいる姿を晒したがらない男だ。
「何なのォ、金城チャァン。もしかしてフォローとかしてくれてんのォ?」
「いや、違う。お前が東堂の自信に憧れるのはわかるが、それ以外は理解できないと思っただけだ。だってお前は、努力家で、弱音を吐かず、面倒見が良いじゃないか」
 自分が痛めさせた白く細い腰を労わるように撫でると、顎の下をくすぐられる猫のように、気持ち良さそうに目を細めた。完全に自分に気を許している荒北の、その様子がどうしようもなく愛しくて、不意に飛びかかるように抱きしめる。反動で二人ともベッドに倒れこむが、柔らかいベッドが優しく二人を包み込み、衝撃を与えなかった。
 さらりとした黒髪を指先で弄びながら、窓の外から差し込む街頭の明かりに照らされた荒北を見る。白い肌がさらに白く輝き、瞳と髪の毛の黒を際立たせている。長いまつげの一本一本がキラキラと光っているような錯覚にさえ襲われた。
「そりゃァオマエ、アレだろ。惚れた欲目ってヤツ? オレ、オマエが思ってるほどのヤツじゃねェからァ。オマエは所構わずオレのこと天使みたいな扱いするけどさァ」
「そんなことはないさ。惚れる前からお前は出来た男だった。だから惚れたんだ。東堂は確かに魅力的な男ではあるが、お前だってそうだ」
「……だからンなことねェって。そう思ってンのはオマエぐらいだっつーの……」
「俺だけならライバルがいなくて助かるんだが、実際の所そうでもないんだ」
 荒北がそっと金城から目を逸らす。じわじわと目の下の薄い皮膚が赤く染まっていく。否定する声にかすかに甘えが混ざっていくのがわかった。
 荒北は、ありのままの自分が認められなくて当然だと思っている節がある。認めてもらうには、甘えを捨て、努力に徹しなければならないと信じ込んでいるのだ。だからこそ、認めてくれた相手にはーー肩肘を張らなくても自分のことをわかってくれると確信した相手には、普段抑制している幼さを見せる。頭を撫でていた金城の大きな手に、荒北が自ら頬擦りした。もっと撫でてほしいと強請るような仕草に、金城は思わず頬を緩める。
「お前は素晴らしく魅力的な男で、東堂に強く憧れる必要は無い。だから、あまり俺の前で東堂のことを褒めるな」
「アレェ、もしかして嫉妬ォ?」
「ああ、実は先ほどから言いたくて言いたくてしょうがなかった。俺の前で他の男を手放しで褒めるなと」
「クッ、オマエ案外嫉妬深い方だよなァ。わかったわかった、気をつけるってェ……」
 くすくすと笑う荒北を抱きしめ、その首筋に鼻を埋める。今度は荒北が金城の後頭部を撫でる。大事なものを触るような優しい手つきに、どうしようもなく温かな微睡みが増す。
 荒北の耳に、おやすみ荒北、と囁いて、意識を眠りの世界に深く落としていく。眠りに落ちる寸前に聞こえたのは、荒北の穏やかなオヤスミという声だった。


『誕生日おめでと。
これからもそのままでいろよ、クソナルシスト』